「ミクロが変える経済」

3月27日午前、全日空は三菱重工の小型ジェット機「MRJ」を
25機導入することを役員会で正式決定。それを受けて、翌28日、
三菱重工が「MRJ」を事業化することを正式発表した。「MRJ」とは
「三菱リージョナル・ジェット」の略。これにより40年ぶりに日の丸ジェットが誕生する。
このコラムでも以前、三菱重工の西岡喬会長が日の丸ジェットによせる熱い思いを紹介したことがある。技術は十分だが、資金調達と販売という大きなハードルをいかに乗り越えていかれるかが最大の課題だという話であった。それから1年余、ついに全日空がMRJ25機の購入を決めた。三菱重工の技術がどれほどのものであったとしても、第1号顧客が決まらなければ、事業化はままならない。全日空はこれまで国内線小型機としてボーイング社の小型ジェットを採用してきたが、「MRJ」に切り替えるとじつに40%もの燃費の改善が見込める。1年間で50億円もの収支改善につながるという。
戦争を知っている世代にとって「日の丸ジェット」は悲願である。かつて世界に冠たる航空機技術を誇った日本だが、太平洋戦争の敗戦によって、その技術を封印された歴史がある。その後、プロペラ機だが戦後初となる国産航空機「YS―11」を生み出し、世界から名機の評判を勝ち得たものの、短期間で収支を黒字化することが見込めないと判断した国は「YS―11」の生産停止をあっさり決めてしまった。以後、日本の航空機技術は米国ボーイング社の下請けとしてその命脈を保ってきた。
まだボーイング社の本社工場がシアトルにあった頃、ボーイング社の航空機製造の現場を取材したことがある。巨大なジェット機がパーツ、パーツに分けられて、組み立てられていく光景は、自動車や家電メーカーの工場とは規模があまりにも違いすぎた。私はただただそのスケール感に圧倒され、日本企業がジェット機製造を事業化することなどまったく思いもよらずに帰国した。だがボーイングの工場で組み立てられていたパーツの多くは紛れもなくメード・イン・ジャパンであり、その時すでに、日本企業なしにボーイングなしというのが現実だった・・・
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