「勝者の実学」

私が知る限りにおいて、メジャーリーガーを「アイツら」と呼んだのは先頃、現役引退を表明した野茂英雄ただひとりである。
同じ野球人として対等だ、負けるわけがない。彼はアマチュアで日本代表のメンバーに選ばれた頃からそう考えていた。プロになって日米野球などを経験することでその思いは一層、強まった。
野茂が初めてメジャーリーグ挑戦を私に打ち明けたのは今から15年前のことだ。
近鉄時代の春のキャンプ。「もう待てないんです」。そう切り出した野茂は語気を強めて、こう言った。
「アイツらと真剣勝負をやってみたいんです」
これまでメジャーリーグでプレーした経験のある日本人選手は村上雅則ただひとり。その村上も南海からの期限付き派遣。退路を断ってのメジャーリーグ挑戦ではなかった。
それゆえ、自らの意思で日本球界を飛び出した野茂に対するバッシングは凄まじいものがあった。「裏切り者」や「非国民」はまだいいほう。中には「日本に逃げ帰ってきても仕事を与えるな」という者までいた。
本来なら閉鎖的な体質を批判しなければならないマスコミまで機構側につき、吉國一郎コミッショナー(当時)の「第2の野茂を出すな」との通達を大々的に報じた。
今だから言うが野茂を弁護していた私の元にも有形無形の圧力がかかった。
ある球団幹部からは「日本の球界を裏切った野茂を弁護する貴殿も同時に裏切り者と見なす」という手紙まで頂いた。野茂を擁護する側は“野茂一派”と見なされ、球場に姿を現しただけで関係者はサッといなくなった。
「悪く思わんでくれ。キミと話しているのを見られると今後の仕事がやりにくくなるんでね」
そうつぶやいた先輩もいた。
なかには「野茂と組んでひと儲け企んでいるんだろう」と聞こえよがしに吐き捨てた者もいた。
断っておくが野茂は2億円近くあった年俸を捨ててメジャーリーグに挑戦したのだ。ドジャースの初年度の年俸はわずか10万9000ドル(約960万円=当時)。カネだけが目的なら日本に残っていた。
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