「命をつなぐ政治」を求めて
「肝炎対策基本法」が成立したのは09年11月30日 ──。
民主党が圧勝した衆院選からちょうど90日間が過ぎていた。
その中心にいたのは福田衣里子氏。350万人の命をつなぐ、を合言葉に奔走した。
薬害肝炎訴訟の原告として実名を公表してから5年、
青春のすべてをたたかいに捧げた氏の人間像に迫る。
構成=吉岡憲史 写真=鰐部春雄

何としても年内に成立させたかった
── 臨時国会で肝炎対策基本法が成立しました。振り返ってみていかがですか?
これまで薬害肝炎問題をずっと一緒に取り組んできてくれた先生方と法案成立をやろうと思っていたのですが、気がつくとみんな政府に入っていて、大臣や政務官になられていた。だから、一緒に動いてくれる人がいなくて困りましたね。そもそも自分が厚生労働委員になれるかどうかも分からない状況でしたから。
だからといって何もしないわけにはいかないので、法案を調整し国対や衆参の厚労委員長、筆頭理事の先生方に「肝炎対策基本法は臨時国会で成立させてください」とお願いして回りました。しかし、臨時国会はわずか36日しかない上に12本の法案を通さなければならなかったので、「通したいという気持ちは分かるが物理的に難しいだろう、年明けに始まる通常国会で成立させよう」と言われました。しかし通常国会で成立といってもそのころに何が起きているか分かりません。この問題は私が原告団にいたときから「次の国会、次の国会」と言われて1年、2年と時間だけが過ぎてきたので、命に関わる問題ということもあり何としても臨時国会で成立させたかったのです。法案の成立が半年先送りにされると、当然対策も半年遅れるわけです。その間に多くの命が失われてしまいます。
── 議員としての経験がほとんどない中での法案成立は相当な達成感があったのではないでしょうか?
達成感というより感謝の思いです。なにしろ国会の中でも迷子になるような状況だったので、走りながら「ここはどこだ」といつも思っていました。だから、自分だけじゃ分からないことだらけで、いろんな先生に話を聞いて、「こうしたほうがいい、ああしたほうがいい」とアドバイスをもらいました。最初は(法案成立が)無理だという話もあったのですが、だんだんと多くの先生方が働きかけてくださるようになりました。「議員立法は原則禁止」という声も聞こえてきたんですが、「はい、そうですか」と納得するわけにはいきませんでした。命に関わる法律で国の責任を明記しているわけですから議員立法が適しているようにも思います…
関連記事




