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[インタビュー]
宮台真司(社会学者・首都大学東京教授)

格差の直撃ごときで
絶望するなら国の将来はない

ひきこもり、いじめ、自殺など日本社会が抱える闇を
鋭い視点と独特の語り口で主張してきた宮台真司氏。
今、若者から圧倒的な支持を集めてきた気鋭の社会学者が、
わが国が抱える最も困難な問題に警鐘を鳴らす。

構成=吉岡憲史 写真=鰐部春雄

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── ズバリ、わが国が抱えている“難”とはどういうものでしょうか?

「任せる政治から引き受ける政治へ」の転換が急務なのに、それが進みそうもないことでしょう。「民主党には任せられない」という言い方がありますが、自民党と霞が関の連合軍を頼る「任せる政治」がうまくいかなくなったから昨今の現実があります。実際、民主党の政策を検討すると、党のDNAは「情報公開を前提に、市民が自分たち自身を操縦する政治へ」つまり「引き受ける政治へ」にあるのです。
 維新の歴史と関係しますが、日本は国民が不完全なので、不完全な国民を置き換える形で、将来の理想的な日本国民を体現する天皇を樹立しました。だから天皇主権だったし、リベラルな思想家も天皇主義を否定しませんでした。具体的には国民に代わって天皇の官僚が国政を操縦するという形です。戦後、天皇の格下げで天皇の官僚はなくなりましたが、不完全な国民に代わって霞が関が議会を操縦する形は同じです。

 ところが、社会が複雑で流動的になれば、国家の中枢が全情報を収集して決定するのは困難になります。日本にも遅ればせながら国民主権の実を示す時代が訪れているといえます。でも国民は自分自身を操縦した経験がなく、いまだに「誰に任せるべきか」という発想をしています。
 実際、民主党が政権をとった際に問われる2つのポイントがあります。1つは霞が関から国家のステアリングを奪い返せるか。それはディスクロージャーを徹底させられるかどうかで測られます。国民参加を目的に制度が変革されても、霞が関はステアリングを手放したくないので情報をブロックしがちです。裁判員制度が典型で、国民参加は揺らぎ始めた司法の正統性の補完ツールに過ぎず、裁判員保護を目的とした情報ブロックで国民は裁判の全体性を知り得ません。諸外国にない異常さです。我々が自分たちを操縦するには、自分たちの情報を知ることが必要ですが、今は自分たちの情報は霞が関に独占されています。民主党がディスクロージャーを徹底できれば、「任せる政治から、引き受ける政治へ」は本気だと見なせます。

 もう1つはディスクロージャーでフロントガラスがクリアになった後、自分たちでステアリングを握って実際に運転できるかです。これがセカンドステージですが、国民に経験が乏しいため楽観できません。「引き受ける政治」には2つの要素があります。市民たちが自分で政治をすることと経済的なつまずき程度で路頭に迷わない相互扶助的な社会を作ることです。こうした意味で「国家を小さく」するかわりに「大きな社会」にします。
 しかし、日本では社会が完全に空洞化し、家族も地域もガタガタなわけで緊急避難的な意味で国家が再配分するしかありません。社会のことを社会が解決できる「社会の自立」を獲得するためのリソースをしばらくは国家が供給するべきです。「子供が親離れするためのリソースを親が提供する」のと同じで、そんなに変じゃありません。日本の場合そうした過渡期が相当長びくので、この過渡期をどうクリアするかが課題になります。社会の自立を支援する国家が、いつのまにか社会の自立を阻む国家に変質しかねないからです。

 かかる変質の可能性を事前に抑止する手立てが要ります。過渡期的に「社会の自立」を支援すべく国家官僚が機能するべきですが、そんな官僚は例外的です。だから霞が関全体を総組み替えする必要があります。踏み絵を踏ませるスクリーニングが不可欠です。
 それには政権交代が随時起こるようにしなければなりません。日本と同じ議院内閣制をとる国、例えばイギリスで官僚の中立性が確保されるのは、中立的でない官僚が政権交代でパージ(排除)されるからです。日本でもこれを実現すべきです。「社会の自立」を支援する過程で国家が大きな機能を果たすとしても、かかる手立てがないと官僚たちが裁量行政を通じて自分たちの手元に利権を引き寄せる結果になりがちです。
 こうして過渡期をうまくクリアする間に社会のことを社会で解決できる「社会の自立」、すなわち「参加と包摂」を達成することが最終課題です。何か問題があったとき、国家を頼る前にまず社会を頼ってみようと皆が思える社会を作り上げられるかです。例えば、友人関係や性愛関係や家族関係や地域関係に何も期待できない人間が、社会に期待できるなんてことはあり得ません。ところが日本ではどれもボロボロ。その象徴が、OECD加盟国で下から2番目で、英国の2倍に及ぶ自殺率だし、大きなニュータウンで年間30人に及ぶ孤独死です。信頼できる人間関係をつくるためのリソースの一部を一時期国家に頼るにせよ、自分たちで自分たちが信頼できる人間関係を作る意欲や能力がないことにはどうにもなりません。日本人は何か困るたびに人間関係ではなく役所を頼ります。例えば、警察官の増員や監視カメラの増設を要求するということです。こうしたクレクレ野郎があふれる昨今の状況では「社会の自立」すなわち「参加と包摂」は無理です。

── 都議選の投票率をみても、国民側に国家や権力を操縦したいという意識が高まっているのでは?

 油断できません。日常の鬱屈をはらすために「こいつが悪い」として懲らしめる感覚で投票する者も多いからです。1989年の総選挙の自民党大敗の際「お灸をすえる選挙」と言われました。今回の都議選もそれに過ぎなかった可能性があります。鬱屈をはらすのではなく、本質的問題に国民が注目する必要があります。政権交代後のファーストステージでは霞が関官僚をどうするのかが問われ、そこではディスクロージャーが鍵になります。セカンドステージに入るまでの過渡期では官僚の中立性を保つ仕掛けを機能させなければなりませんが、それができるかどうかも分かりません。セカンドステージで「参加と包摂」を達成すべく、私たちが友人・家族・近隣関係を信頼できるようになる必要があります。これもどうなるか分かりません。

── 国家を操縦する方法はどのような方法があるのでしょうか?

 政治システムの操縦方法は2つです。1つは投票ボタンを押すことです。日本人は政治に真理や価値を求めがちですが、政治システムは真理とも価値とも離れた存在です。国民が真理に反応する場合に限り政治は真理に反応し、国民が価値に反応する場合に限り政治は価値に反応します。政治が真理や価値にも劣るのは、ボタンを押す国民が真理や価値に頓着しないからです。
 もう1つの操縦はNPOのような市民セクターの活動です。日本以外の先進国の政治システムでは政府セクターと市民セクターが「公的なセクター」として並び立ちます。市民セクターを代表するのがNPOです。鍵は税制で、税金の一部を政府に納めるのかNPOに納めるのかを選択でき、さらにどのNPOに納めるのかを選択できる。これが先進国では当然のNPO税制です。
 日本のNPOの課題は財政的に余裕をもって回ることといえます。そうしないと活動資金に事欠き、寄付に頼るしかなくなります。これだと寄付文化のない日本では先細りになるでしょうね。日本で事業として成功している大規模なNPOは10団体あるかないかです。米国はその千倍以上あります。NPO税制の助けを借りるにせよ、そのレベルまで成長しないと公的なセクターとして政府と対等にはなれないし、そうならないと納税者である国民にとって税金を納めるべき等価なオプションには見えません。ここに循環があるわけです・・・

続きはFJ10月号で


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