池に落ちたランナーを引き上げただけの小泉改革
福田政権の評価をするには、小泉内閣からの流れの中での評価が必須です。小泉さんは「自民党をぶっ壊す」とブチ上げて広くもてはやされましたが、私から言わせれば、本質的な改革はしてない。たとえば小泉内閣時代には、日経平均株価が1万7000円のときもあった。それが今は1万3000円を切っている。これはマーケットだけのせいじゃない。本当の改革というのは、企業の成長や成果という、目に見える形で現れないと意味がない。

小泉政権は5年半続いたわけですから、時間が短かったという言い訳も通用しません。企業の社長が5年半もやって業績が低迷し続けていたら、在任期間が短いと言い訳できないでしょう。
こうしたことからも、小泉内閣は「ターンアラウンド内閣」もしくは「リカバリー内閣」にすぎなかったといえるでしょう。この内閣の功績は不良債権問題の処理です。当時、「不良債権問題は時間が解決する」と楽観視する向きが多い中、財政資金を投入して不良債権を処理しなければいけないと訴えて断行した。ただこれは1992年ごろアメリカがやった政策を10年遅れてやっただけで、何も目新しいわけではない。
つまり、こけて池に落ちたマラソン選手を引き上げることができた、というだけ。池から出るには出たが、すでに先頭集団はずっと先に行っているわけで、そこに追いついてなどいない。日本経済を良くするためには、小泉改革だけでは到底足りないんだという認識が世間に足りなさ過ぎます。
構造改革派の方々が勘違いしていることとして、日本経済を良くするために、財政や金融をいじったり、「官から民へ」を実現したりすればいいと思っていることが挙げられる。
霞が関の改革は必要でしょうが、「官から民へ」の流れを進めたところで、経済が良くなるかは疑問です。
戦後、日本経済が一番強かったのはいつですか?80年代後半のバブル期でしょう。当時と今とを比べて、「官の力」が強かったのはどっちですか?
「護送船団方式」などといわれた80年代当時のほうが、今よりもはるかに日本経済は世界に対してコンペティティブだったはずです。その時代になぜ日本経済が伸びたのか。
80年代、日本が世界の経済大国になり得たのは、「パックス・アメリカーナ」に最も適合したビジネスモデルを実現したからです。新幹線や高速道路という交通網が太平洋ベルト地帯の各地を結び、各地の優秀な工場へ資源を運び、製品をつくり、再び運んで海外へ持って行く。そして売ってドルを稼ぎ、それを円に換えて、地方に分配する。私は「仕送り国家」と呼んでいますが、そうして地方との格差がなくなって、「1億総中流社会」ができたわけです。当時はそれでうまくいったんです。



