40代よ、日本を牛耳れ
「ノー残業デー」「早朝会議」など、さまざまな改革を断行して
19年連続の増収益を実現したトリンプ前社長の吉越浩一郎氏。
内向き志向が顕著な政治が横行し、経済の先行きも不安視されるなか、
日本企業は前時代の働き方を捨てきれずにいる。
そんな状況を、独自の視点から語ってもらった。
取材=玉居子精宏 写真=鰐部春雄

日本的チームワークは破綻
国と人に論理なし
日本の組織は従来チームワークに優れていると言われてきました。しかし個人的にはこの見解に疑問を持つようになっています。
なぜか? 個々の人間が独立しているのが欧米社会ですが、日本にはそれがありません。つまり個人が独立していない。チームワークといってもリーダーシップがないと機能しないのです。
ところが日本では論理的に物事を運んで組織を指導できるリーダーが不在の状態にあります。だから国そのものも危うくなっている。無論日本のすべてが悪いわけではありませんが、すべてがいいわけでもありません。
「みんなでいっしょにやる」という掛け声の響きは確かにいい。でもそれを引っ張る人がいないのは問題でしょう。
論理的思考の不在を卑近な例で説明しましょうか? サラリーマンが食事に行く。「何にする?」となります。そこで誰もが「何でもいい」と口をそろえます。
「本当は何がいいんだ?」と聞かれると「好きだから、そば」と答えたりします。けれどもその選択はあくまで〝好き嫌い〟で発しているのであって、その人の答えに内在していた、たとえば「昨日の夜は重めのフランス料理だったから昼は軽くしたい。だから昼はそばがいいのだ――」という論理によって出てきた言葉ではなかったりする。
聞かれてあいまいに答える。論理的思考で回答する癖が日本人にはない。
私の場合、妻がフランス人なので、「夕食に何を食べたいか?」だけでも論理的に問い詰められた(笑)。だから論理的思考を身につけられたというのがあります。
何といっても妻がフランスでバカロレア(フランスの中等教育修了試験。合格者に大学入学資格が与えられる)を受験したときの設問が、「動物はなぜ話さないのか?」ですよ。
正解があったとしても自分の考え、つまり、論理をもとに解答することが求められるわけです。
私の息子の場合、フランスの学校で学んだのですが、そこで子供がやらされるのは、フランスにおける偉人の言葉の丸暗記。そこに論理があるから、暗記すれば自然と論理的思考力も身についてきます。
でも○×式の試験で力を測る日本の試験では、そうはいきません。
論理的思考は組織で重視されるべき要素です。本来これを企業に入ってから育成するようでは遅いのですが、私がトリンプで取り入れた 早朝会議 も、この論理的思考を学べという趣旨でした。これは、先ほどの日本式の試験に慣らされた人間には辛いところでしょう。
日本の若者に求められるもの
これからの世界では、英語を自在に操ることができ、論理で人を説得できる能力がないと通用しません。昔はインターナショナルの場で個人が話す必要は少なかったのですが、今は個人のレベルでも圧倒的に増えました。
「若いのに外国語のひとつもできない? もう駄目だね」となりかねない時代です。ハーバード大学の留学生を見ても、中国人と日本人とではすでに数で圧倒的に負けていると聞きます。海外での競争力の先細りが危惧されますよ。
日本の国連分担金はアメリカに次ぐ世界第2位なのに、安保理常任理事国入りもできない。まだ日本がそのレベルの国に達していないと判断されているのでしょう。
要するに、グローバルに時代が移り変わっている事態に、日本は対応できていないのです。世界的にも日本の地位だけが下がって、注目される度合いも落ちています。
最近だと、「小浜市が日本にある」とアメリカのメディアが見つけてくれたくらいではないでしょうか? オバマ、クリントン、マケインの誰が大統領になっても、当然中国に目を向けるはずです。
下剋上よ、横行せよ
もっと日本人は自らの価値を上げなければいけません。私がドイツに留学していたころ、日本の政治を批判したらドイツ人の友人にこう言われました。「その国の政治はその国の国民以上のものとはならない」。
日本の政治には理念がありません。ただ利権があるだけです。国会という場所に出るためにすべてが費やされており、議員になれば就職の世話などで忙しい。これでは論理的に理念など語れるはずもありません。
別段2世、3世の政治家を非難するわけでもありませんが、もっと下剋上が横行する世の中になっていいと思います。
隠れた若く優秀な人物を登用できる体制が欲しいところですね。日本の老人支配は甚だしいものがあります。首相に経団連会長、政治経済のトップが両方70歳を越えているわけですから。
私は仕事のベースは体力にあると考えています。ピラミッド型で考えれば底辺が体力、その上にやる気、最後に能力が来る。
そこで「老人に体力があるか?」と問えば、「ない」です。日本の若い層は残業で体力を使いすぎて疲弊しています。これは問題ですよ。
加えて仕事に対する考え方です。欧米人にとって、仕事の対極は「遊び」ですが、日本人の場合、それが「休み」になってしまっている。これはじつに貧しい発想です。仕事で頭を使わず体力を使って、疲れた体を休めることしかできないからですよ。
仕事の〝情緒的満足〟ではなく
〝密度〟をこそ上げるべき
日本は残業が蔓延していますが、では1日9時から6時まで同じ密度で仕事をしているのでしょうか?
もちろんそんなことはありませんよね。一日中電話が鳴り、部下から相談が入る。社員同士、仕事を邪魔し合う状態になっています。
大きな声がまかり通るオフィスで密度の濃い仕事ができるわけないでしょう。論理的に考えれば〝お互いが仕事の邪魔〟としか考えられない。
でもそんな状態が是正されない。「上司がいる間は会社にいなければならない」というのもおかしい。上司がいなくなっても、残業している間中、社員の間で奇妙な高揚感が漂っているのもおかしい。「俺たちはがんばって残業している」などという〝情緒的満足〟に浸っているだけのことではないでしょうか?
理解に苦しむ平等らしさの演出
日本ほど自由で平等な国もありません。何らかの差別によって東大法学部が受験できないなどということはないので、不合格になったとしても、公平な競争の結果ですから仕方ありません。もっと努力をすればいいのです。それを格差という言葉で「おかしい」と言う。
格差を云々する声の大半が、私から見れば、「努力していない層」に見えるのが気になります。競争社会である日本にあって、努力しなければ何も得られないのは当然のことです。
「ワーキングプア」という言葉も同様です。この言葉にあたる人の多くが、「現状でいい」と思って諦めているのではないでしょうか。
ただ、そういった競争社会で切磋琢磨していく一方で、健康を害して働けないとか、小さなお子さんがいて満足な金額を稼げない、といった人たちに対する社会的なセーフティネットが不可欠であることはいうまでもありません。
もちろん競争社会では、公平であっても平等にはなりません。就職面接の場で、「何語が話せますか? 何か資格はありますか?」といった質問が飛んでくるのは普通のことでしょう。
会社に必要なのは何より実践的に役立つ人材です。この企業社会での観点を抜きにして、「格差」や「ワーキングプア」といった言葉が独り歩きしている感が否めません。
「競争のない社会がよい社会」という幻想が戦後日本に蟠踞してきました。でも「負けないよう努力する」というのがごく自然のことであるべきでしょう。
昨今小学校では、運動会の徒競走で「最後は手をつないでみんなでゴール」式になっていると聞きます。こんなおかしな話はありませんよ・・・
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