信長・秀吉・家康に学ぶリーダーの条件
戦国時代に天下を取った織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は、組織と人間の管理術に長けていた。
歴史から学ぶ、これからの社会に必要なリーダーの条件とは?
現代的な視点から歴史に焦点を当てた著作に定評のある、作家の童門冬二氏に聞いた。

“~なら”と言わせる「風度」
中国の言葉に「風度」というものがある。それは、人から発散される「気(オーラ)」のこと。たとえば部下や周囲の人間に、「あの人の言うことなら」「あの人のためなら」と言わせるような人望を生み出す「気」のこと。
今の時代のリーダーにもっとも必要なのは、そういう“なら”という気持ちを抱かせる「風度」ではないか。
日本人が、これまでの組織経営において大切にしてきたものは、「知」と「情」の存在である“人”。リーダーシップの基本は「人が決め手」ということ。それは、いつの時代も変わらないだろう。これからの時代も、“人”がリーダーシップのあり方を支える。
「何をやるのか」「何のためにやるのか」という“知的な”動機だけでは、人は動かない。「誰のためにやるのか」という“情的な”動機が必要。このことが日本に限ったことではないということは、「風度」という言葉が中国にあることからもわかる。
民衆のニーズをくみ取り
サービス精神旺盛だった3人の「天下取り」
戦国期の代表的なリーダーといえば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人だろう。彼らは、まさにこの「風度」を持っていた。
彼らは「天下取り」と呼ばれたが、天下を取るというのは、なにも国土や国民を自在に操るという意味ではない。天下というのは、そのときの空気である。つまり、人々のニーズが、気流として空に漂っているということ。天下取りは、その当時に生きていた人々の願望を的確につかみ、何を優先して行うべきかを整理し、実行に移していった人である。そういう同時代の人々に対するサービス精神がなければ、彼ら3人といえども天下は取れなかっただろう。これは今でも同じで、客に対するサービス精神がなければ、ビジネスは成功しない。
また、3人はそろって情報に敏感だった。国際情勢にも強い関心を持っていたという。同時にそのことを組織の合理化、あるいは技術革新につなげることができた。
旧価値社会を
壊した――信長
3人の天下取りには、「風度」があったという共通点はあるものの、ご存じの通り、性格も政策もそれぞれだった。
まず織田信長についてだが、彼が外国から導入した鉄砲によって日本の戦国時代が終わり、平和な時代へのきっかけになったというのは有名な話だ。彼は武家組織を、従来の「固定したピラミッド型」から、必要に応じて作ったり解体したりできる、「プロジェクトチーム型」に変えた。
そのために、部下に対して、当時の常識だった「一所懸命」という、一つの土地に居つく“土地至上主義的な考え方”から脱するよう迫った。職場にしがみつかせず、古い仕事のやり方、古い慣習を断ち切り、キリスト教の伝来など国際化し始めた新しい社会に備えさせた。
彼が情報通だったことも、天下が取れた要因として見逃せない。信長は若いころ、しきりに旅人、商人、浪人に話しかけ、お茶や飯をふるまっては何かを聞き込んでいたという。彼に言わせれば、「旅人は単に人間が歩いているのではなく情報が歩いているのだ」ということになる。
それでは何のために情報を重視したかというと、信長は「民衆が何を求めているかを知ることが天下を取ることにつながる。その民衆の求めることに応えることこそ政治家の役割」と考えていたからだ。天下取りへの志は、自分の権力を高めようというものではなく、「日本人が求めているものを自分の手によって実現したい」という願いそのものだった。
情報を分析した結果、当時の日本人が求めているのは「平和」だった。そのためには、戦国時代を終わらせなければならない。その手段として、武士を組織化し、合理化した。つまり信長は、刀や槍に代えて鉄砲を導入し、合戦を個人戦から組織戦に変えた。そのためには武士一人ひとりの意識変革が必要で、彼はそれをやってのけた。
合戦に建設業者を
取り込んだ――秀吉
次に豊臣秀吉。彼は日本人の価値観を新しくした。
刀狩りを行い、武士以外の農民、僧侶、商人らの武器を奪った。「これからの日本は平和の時代。刀や槍を振り回して戦うことはない」という意識を浸透させた。
戦国時代の「個人技の時代」から、「チームワークの時代」を実現したのも秀吉だ。
たとえば、槍の試合において、それまでは個人の技を競う個人と個人の戦い方だった。しかし、秀吉は槍隊の編成で50人の足軽を17人・17人・16人の3チームに分け、1列目は「足を払う」、2列目は「頭をたたく」、3列目は「突き倒す」という、1チームにつき1アクションの役割を与えた。個々の槍の技を超えて、集団化を行った。
彼の合戦のやり方には土木建設が多く、川をせき止めて水攻めをやったり、工事をしたりしている。それまでのような殺し合いはやっていない。土木建設業者を集めて、「オレの合戦を手伝え、費用は払う」といって、仕事を与えている。つまり、付近の商工業者に利益を与えたことになる。これにより、攻める秀吉の評判が高まり、城の評判は落ちる。城攻めも経済感覚に基づいて、誰もが損をしない解決法を探ったのが秀吉だった・・・
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